ヨーロッパでは、ベジタリアンやヴィーガンという概念が
日本に比べると普及しているように感じる。
一年半くらい前に一大決心をしてヴィーガン宣言をしたわたし。
思えばあの頃から大きく人生が変わり始めた。
きっかけは、ある本で畜産業界の実態、それが人体に及ぼす影響などを知った。
お肉があるのが当たり前の生活だったわたしにとって
それはそれは衝撃的な内容だった。
読みながら身体の震えが止まらなかったのを憶えている。
この体験から、徐々に自然栽培、環境の中で循環できる石鹸や洗剤、
ヨガや自然出産に至るまで、とにかく新しい分野でたくさんのご縁を頂いて
現在の地球で人類はどう生きるべきかということが
わたしの主軸となりつつある。
肉や魚、乳製品に手を付けず、日本で暮らすのは至難の業。
まず、外食だとほぼ不可能であるため、料理をするようになった。
そして飲み会や人との付き合いで外食する時も居心地が悪くなり
人間関係が一気に変わった。
料理をするようになったのは良かったけれど、一つ苦しかったのは
あまりに周り人達の関心が薄いことだった。
わたしが変な宗教にでも影響されたのではないか
(この書き方自体が差別的だが、正にこの通りの感覚だったのでご容赦ください)
という感じで、どちらかというと「可哀想に」という眼差しでみられた。
わたしはわたしで、あなた達は知らないから食べれるだけで
本当は裏で恐ろしいことが起こっているのに!
と、感情的になってしまい、周りを拒絶していた。
この時期、体重が3、4キロ減った。
食事のスタイルが変わったから、ということもあるけれど
同時にストレスも多かったからかもしれない。
これは身体に悪い
この豚はどんなにひどい目にあってこの食卓まで運ばれて来たのだろう
何でみんなは知ろうともしないんだろう・・
でもきっと、ベジタリアンというテーマに真剣に向き合った
ことがある人はみんなが通る道ではないかと思う。
ベジタリアンに限らず、どんな分野でも世の中の大きな流れに
立ち向かおうとすると、必ず逆風に出会うものだ。
今わたしは、自ら肉や魚、乳製品を買うことはない。
でも誰かに頂いたり、出された料理は何でも美味しく頂くことにしている。
否定からは何も生まれないことを学んだから。
肉や魚が悪いわけではない。
世界は波動でできているから、感謝で満たされたものなら
なんだって大丈夫なんだ。
愛情を受けられないまま自分の前に出されたものは
自分自身の感謝をもって頂くことが、その命へ敬意を示す方法ではないか。
それは野菜だろうが果物だろうが同じこと。
最大の敬意をもって命:食を扱うならば
地球環境の循環を考えても、肉や魚を暴食することはできないはず。
それはそれは高価で、お祝い行事など特別な時しか肉を食べなかった時代は
生命全体が共存できる生き方に自然となっていたのではないか。
変化の第一歩として、無知だ極端だとお互いを否定することではなく
まず目の前にある命を、感謝の心をもって頂くこと。
急がば回れ、今日一日を生き抜くことができた喜びを大切にしながら
暮らしていけたらと想う。